今日の行政書士会のセミナーで、
講師を務めたときの話を、書いてみようと思います。
テーマは、「補助金とAI」について。
同業の先生がたに向けて、お話をする機会でした。
同業の方に向けて、講師を引き受けたとき、
皆さんなら、どうされるでしょうか。
ライバルを強くするようなことはしない、と、出し惜しみするか。
それとも、同業が元気になることは、長い目で見れば自分のためにもなる、
と、惜しみなく教えるか。
どちらが、正解なのでしょうか。

正直、セミナー講師は、儲かりません
率直に言うと、セミナーの講師は、儲かりません。
人にもよるのでしょうが、私は、
資料を徹底的に作り込むタイプです。
ですから、資料づくりに、ものすごく時間がかかります。
士業として、誤りは許されませんから、
ファクトチェックにも、相当の時間をかけています。
講師料は、いただけます。

でも、かかった時間で時給に換算すると、
正直、ファーストフードの時給なみです。
だから、金銭的には、わりに合いません。
では、いったい、どこまで話せばいいのか。
自分は、どうあるべきなのか。
本当に、いつも、悩みます。

明太子の「ふくや」が、教えてくれたこと
以前、尊敬する経営者の方から、
ご助言をいただいたことがあります。
それは、明太子でおなじみの「ふくや」さんの話でした。
明太子の「ふくや」は、昭和23年(1948年)に、
博多・中洲で創業された会社です。
創業者は、川原俊夫(かわはら としお)さん。
辛子明太子を、昭和24年(1949年)1月10日に、
日本ではじめて店頭に並べた方です。
はじめのころ、明太子の売れ行きは、
けっして芳しくなかったそうです。
それでも川原さんは、あきらめずに、味の改良を重ねました。
唐辛子の焙煎、調味液の配合、たらこの仕入れ。
何度も試行錯誤を重ねて、
ようやく、納得のいく味にたどり着いたそうです。

そして、ここからが、私の心に、ずっと残っているところです。
川原さんは、苦労の末に生み出した明太子の製法に、
特許を取りませんでした。
「これは特別な名物ではなく、ただのお惣菜なのだ」。
そう考えて、製法を知りたいという人に、
惜しみなく教えたのです。
「いろんな味があっていい」。
その想いから、さまざまな作り手によって、はばひろい味が生まれました。
そうして明太子は、博多を代表する名産へと育っていったのです。
一人で独り占めにするのではなく、惜しみなく分け合うことで、
博多明太子という、大きな文化そのものを育てた。
川原さんが、後を継ぐ人たちに遺したと伝えられる教えに、
こんな言葉があるそうです。
味は守るな。商売は、腹八分目。
利益を出して、きちんと納税し、社会に貢献しなさい。
そして――カネを残すな、人を残せ。
この話を聞いたとき、私は、胸を打たれました。
それでも、みんなで、遠くへ行きたい
正直に言えば、私は、いまも、迷いの中にいます。
どこまで教えればいいのか、その答えは、まだ出ていません。
それでも私は、惜しみなく教える道を、選びました。
頭にあったのは、アフリカのことわざとされる、ある言葉です。
早く行きたければ、一人で行け。
遠くへ行きたければ、みんなで行け。
― アフリカのことわざとされる言葉です。
一人なら、自分のペースで、素早く進めます。

でも、困難を乗り越えて、より遠く、
より高い目標へたどり着くには、
仲間と力を合わせることが、欠かせない。
私は、そういう意味だと、受け取っています。
私は、AIとリベラルアーツの境界に立って、
私たちの業界に、イノベーションを起こしたいと思っています。
このことわざで言えば、まだ見ぬ、遠くへ行きたいのです。
だから、みんなで行くことを、選びました。
「お前は、アホだ」と、言われるかもしれません。
それでも私は、惜しみなく教える道を、迷いの中選びました。
同級生のこと、そして、子どもに誇れる生き方
もう一つ、心にあることがあります。
この年になると、少しずつ、亡くなる同級生も、出てきます。
もし、私が亡くなったとき。
同業の方から、私の子どもに向かって、
こう言われたら、どうだろう、と思いました。
「お前の父親は、身勝手で、けちくさい奴だった。
業界に、何の貢献もしなかった」。
そんなふうには、絶対に、言われたくない。
願わくは、こう言っていただけるような、人生を送りたい。
あなたのお父さんには、本当に、お世話になりました。
業界の活性化に、本当に、貢献してくださった。
惜しい人を、亡くしました。
心から、哀悼の意を、表します。
そんなふうに、言っていただけたら。心から、そう思うのです。
幸いなことに、セミナーが終わってから、感謝のメッセージが、次々と届いています。
本当に、ありがたい話です。苦労が、報われた気持ちです。
正直に、書きます。
ここまで教えなくても。むしろ、自分のお客様を、失ってしまうかもしれないのに。
そう思う気持ちが、まったくないと言えば、嘘になります。
でも、仮に損をしても。
「得」ではなく、「徳」を積む生き方を、しよう。そう思いました。
中国の古典『易経』に、こんな言葉があります。
「積善の家に、必ず余慶あり」。
善い行いを積み重ねた家には、その報いとして、
子孫にまで、必ず良いことがもたらされる、という意味です。
目先の、自分の得よりも。
子どもに、誇れる生き方を。
得ではなく、徳を、積もう。

おわりに
今日のブログは、正直、きれいな結論は、ありません。
いまも、これでいいのだろうか、と、
自分に問いながら、書いています。
それでも、自分に言い聞かせるために、書きました。
目先の得より、子どもに誇れる生き方を。
だから、これで、良しとする。
……と、えらそうに書きましたが、
まだまだ、悶々としています💦

