「あなたのために」は、免罪符では、ありません。良かれと思って発した一言で、潰れていく人がいます ― その指摘が当たっているほど、危ないんです

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正直に何でも言い合えるのなら、
それで何でも許されるのでしょうか。

日本人は、謙虚が美徳とされています。
だから、本心をなかなか言いません。

言いたくもないことを言う人を、
よく言った、と褒めることがあります。

でも、ほんとうにそれは良いことでしょうか。

今日は、言葉を選ぶ話を書きます。
上に立つ方にこそ、読んでほしい話です。
私自身への、戒めでもあります。

「あなたのために」と言えば、許されるのでしょうか

ひとつ、たとえ話をさせてください。
言い方は悪いのですが、お許しください。
どなたかを指す話では、ありません。

たとえば、食生活が乱れていて、
肥満体型の方がいる、とします。

通常の日本人は、こうは言いません。

いきなり、あなたは肥満体型だ、と。
そのために、色々な面で損をする、と。

だから、食生活を見直すべきだ、と。
そうすれば、肥満体型から抜け出せる。
そして、幸せになるはずだ、と。

そういう、言いたくも無いことを、
あえて口にする人が、いるんです。

その人を、日本人は賞賛します。
よく言った、と褒めたたえます。

いまは、SNSという場があります。
本人は良かれと思って、書き込みます。

作家さんに、ミュージシャンに、
スポーツ選手に、芸能人の方に。
簡単に誰もが、忠告できる時代になりました。

一般の人も、まったく同じです。

本人のために、あなたのために。
その頭言葉が、ついてさえいれば。
何を言ってもいい、どんなにけなしてもいい。
そう許される、そんな風潮があります。

これは、免罪符なのでしょうか。

私は、決してそうは思いません。

あなたのために、という言葉を、
発する以上、そこには責任が伴います。
私は、そのように考えています。

それが引き起こすプラスとマイナス、
その両方を、あらかじめ予測する。

マイナスなら、それに責任を持つ。
その覚悟がないのであれば、簡単に、
そのような残酷なことは、できません。

私は、そのようにも考えています。

当たっている言葉ほど、深く人を切ります


古くから、こういうことがありました。

良かれと思って批評した誰かが、
心ない言葉を、発したがために。


何人もの小説家が、筆を折りました。
歌うことを、やめた人がいます。
競技から引退した選手がいます。

本来なら、もっと活躍できたかもしれないのに。
言い方ややり方を変えていたら。
もっと活躍する姿を、見られたのに。

その批評が当たっていればいるほど、
その言葉は、鋭い刃となります。

そして、批評の対象を切り刻みます。

言葉は、刃物です。

ましてや、それが真実であるほど。
本人に自覚があれば、あるほど。
その鋭利性を、増していきます。

先の、肥満の例えで言えば、どうでしょう。

その言葉が、反骨精神となって、
肥満から脱出できたとしましょう。
そこではじめて、美談になります。

けれど、その言葉がきっかけで、
引きこもってしまったとしたら。

あなたのために言ったことだから、
やったことだから、別に良いでしょ。
はたして、そう言えるのでしょうか。


私は、日本のスポーツの現場で、
指導者がこのような言葉のナイフで、
可能性のある競技者の競技人生を、
潰してきたのを、何人も見てきました。

だからこそ昨今、このような行為に、
NOを突きつける活動が始まっています。

スポーツの現場で、いま起きていること

・日本スポーツ協会の相談窓口に寄せられた相談 … 2025年度 603件(過去最多)

・そのうち、被害を受けたのは … 高校生以下が74%

・相談内容でいちばん多いのは … 暴言(36%)

・「監督が怒ってはいけない大会」は2015年に始まり、2025年1月に第10回

・6団体共同の「NO!スポハラ」活動は、2023年4月に開始※出所は、記事末の「ご注意・出典」に記載しています。

これは、スポーツだけの話ではありません。
すべての業態に、当てはまります。

良かれと思って言った一言のかげには、
黙って辞めていく人がいるんです。

では、何も言わなければいいのか?ぜんぶ受け入れればいいのでしょうか?


では、どうしたらよいのでしょうか。
なんでもいいよ、いいよ、と受け入れる。

指導も指摘も、いっさいしない。
それが、良い方法なのでしょうか。

いいえ、むしろ逆になるんです。

これは、ホワイトハラスメントです。
逆にハラスメントと言われます。

気をつかいすぎて、仕事を取り上げる。
結果として、育つ機会を奪ってしまう。

ただし、法律上の定義はありません。
人事の現場で使われている言葉です。

じゃあ、どうすればいいのでしょう。

簡単なことだと思います。

必要なことを伝えるときの、2つの約束

① 事実は事実として伝える。

 ただし前提条件として、相手の個性や人格を攻撃するようなことは言わない

② そして大事なことは、適切な言葉を選ぶ、ということ

たったこれだけのことだと思います。


先ごろ、美輪明宏さんが亡くなりました。
令和8年6月20日、91歳でした。
謹んで、お悔やみを申し上げます。

その美輪さんが、言われていました。
人間関係の極意は、「腹六分目」である、と。

「腹八分目」ではなく、「腹六分目」です。
そのおつきあいを心がける、というのです。

踏み込みすぎると、嫌な面が見えてくる。
ずかずか入られると、うっとうしい。

どんなに親しくても、愛していても、
相手の負担にならないよう心がける。

それが、長く続く秘訣だというのです。

美輪さんは、荘子を引いておられました。

君子の交わりは淡きこと水のごとく、

小人の交わりは甘きこと醴のごとし。

―― 『荘子』雑篇・山木篇より(醴=甘酒のこと)


立派な人のつきあいは、水のように淡い。
そうでない人のつきあいは、甘くべたつく。

親しき仲にも礼儀あり、ということです。

そのために役立つものがあります。

美しい言葉づかいと、微笑みです。

以上は、婦人公論.jpの連載「美輪明宏のごきげんレッスン」第14回(2023年3月13日公開/初出『婦人公論』2023年3月号)で美輪さんが述べておられた内容を、私なりの言葉でまとめたものです。「腹六分目」「腹八分目」のように、かぎ括弧をつけた語だけが、記事の原文どおりの言葉です。『荘子』の一節も、同じ記事で引かれていたものです。(あくまで、私の解釈による要約です。)


美輪さんは、長い芸能界の歴史のなかで、
さまざまな辛酸をなめてこられました。
そして、色々な方の栄枯盛衰をご覧になってきました。

その上での、生き残る人間関係の知恵。
それが、腹六分目なのでしょう。

だから、必要な指摘をする場合でも。

できるだけ、微笑みと共に伝える。
美しい言葉を選び、そして何より、
正義のナイフを、振りかざさない。

その慎重さが、とても大切だと感じています。

上司に、教師に、指導者に、そして経営者に。
上に立つ者であれば、なおさら必要だと思います。

言葉を選ぶのは、生き抜くための技術です

いま、こういう本が出ています。

中野信子『エレガントな毒の吐き方』

― 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術

日経BP(令和5年5月8日 発行)

版元の紹介文には、こうあります。

「本音は正義」「噓をつかないことが、無条件にかっこいいことである」

という話が、最近、いろいろなところから聞こえてきます。

しかし、本当にそうでしょうか?

―― 日経BP『エレガントな毒の吐き方』内容紹介より引用

私も、これにはまったく同感です。

「本音は正義」という考え方は、
誰にとっても、リスクが高すぎる。

京都弁という独自の表現方法が、なぜうまれたか。
言葉を一つ間違えれば、生死に関わる。
そのなかで生き抜くために磨かれた、
言語の高等技術だと、私は考えます。


私はクリスチャンではありません。
それでも、聖書のこの一節は知っています。

あたかも剣で刺すかのように
軽率に語る者がいる。
知恵ある人の舌は癒やしを与える。

―― 旧約聖書『箴言』12章18節(日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』)

新約聖書には、舌は火だ、とあります。
小さな火が、大きな森を燃やす
、と。
※新約聖書『ヤコブの手紙』3章5〜6節(聖書協会共同訳)の趣旨です。

聖書にしても、同じことです。

世界中から迫害されてきた歴史。
過酷な民族史をもつユダヤの人々が、
生き抜くために身につけたものです。

これもまた、同じ高等技術です。

人類が生きていく上で身につけてきた、
古くからの知恵を、決して、

軽んじてはいけないと思います。

おわりに ―― 私は、自分に固く禁じます

最後に、私自身のことを書きます。

他人はどうあれ、私自身に対しては。
他人や、他人の成果に対して、
言葉を選ばずに、軽率に批評する。

それを、自らに良しとしません。
固く、禁じます。

批評を行う際は、心からその方のため。
そのことを、自他ともに認識します。

そして、いかなる結果を招こうとも、
そこに、責任を持ちます。


こう書くのは、なぜだと思われますか。
自分にも、その危うさがあるからです。

組織で立場が上のものほど、正しさを振りかざす。
経営者や指導者は、とくに危ない立場にいます。
だから、自分に固く禁じておくのです。


そして、もう一つ申し上げます。

教育や指導の名の下に行われる行為。
人の尊厳を踏みにじり、可能性を潰す。

それに対して、私は断固としてNOと言います。

指導者の一言は、思っているより重い。
重いからこそ、慎重に選んで使う必要があると思います。

弊所の基本理念は、
「絶対に絶対に絶対に、人を雑に扱わない」です。

いかなる理由があろうとも、
人を雑に扱い、尊厳を踏みにじる行為に、
私は勇気を持って、NOといえる自分でありたい、
そう強く思っています。

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