
「社会人のための死入門2026」という
YouTubeの番組を、見ました。
はじめに、お断りしておきますね。
「死入門」といっても、死を勧める
番組では、まったくありません。
よりよい最期を、迎えるために、
いまから、どう準備をしていくか。
それを、40代、50代のうちから
考えておこう、という番組です。
出演は、高橋弘樹さん、石丸伸二さん、
ひろゆきさん、歌人の田中章義さん。
取り上げられたのは、教科書で
おなじみの、中島敦の『山月記』でした。
ほんとうに、いい番組でした。
あの『山月記』の裏側に、こんな物語が
あったとは、恥ずかしながら、
私は、初めて存じ上げました。



① 虎になった男が、最後に頼んだこと
まず、物語を、少しだけ。
主人公の李徴(りちょう)は、
若くして役人の試験に受かった秀才です。
けれど、人一倍、誇りが高い。
詩人として名を残そうとして挫折し、
ついには、虎になってしまいます。
ある夜、李徴は、昔の友である
袁傪(えんさん)に出会い、
自分が虎になったわけを語ります。
| 共に、我が臆病な自尊心と、 尊大な羞恥心との所為(せい)である。 ― 中島敦『山月記』(青空文庫より) ※ふりがなは、一部を省いています。 |
臆病な自尊心と、尊大な羞恥心。
ふつうとは逆の、こじれた心です。
石丸さんは、高校の国語で習って以来、
30年ぶりに思い出したそうです。
当時は「何を言ってるんだ」と思ったが、
いまは「その通りだよな」と。
私も、まったく同じでした。
李徴は、こうも語っています。
| 人生は何事をも為さぬには余りに長いが、 何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄(ろう)しながら、 事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、 刻苦を厭(いと)う怠惰とが己の凡(すべ)てだったのだ。 ― 中島敦『山月記』(青空文庫より) |
耳の痛い言葉です。
社会人であれば、誰しも、
どこか思い当たるのではないでしょうか。
そして李徴は、袁傪に
二つのことを、頼みます。
一つは、自分の詩を書き取って、
後の世に伝えてほしい、ということ。
もう一つは、残してきた妻子のことです。
| 厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで、 今後とも道塗(どうと)に飢凍(きとう)することのないように計らって戴けるならば、 自分にとって、恩倖(おんこう)、これに過ぎたるは莫(な)い。 ― 中島敦『山月記』(青空文庫より) |
しかも李徴は、こう悔やみます。
本当は、妻子のことを先に頼むべきだった。
自分が、人間だったなら、と。
石丸さんは「めっちゃいいやつじゃん」と。
最後に、自分の至らなさを認める。
その素直さに、人間らしさがにじみます。


② 『山月記』は、親友への「遺言」だった
ここからが、私の知らなかった話です。
作者の中島敦は、横浜の女学校で
教えながら、ぜんそくに苦しみつつ、
小説を書きつづけた人でした。
その中島を、ずっと気にかけていたのが、
一高と東大で同級生だった、
親友の釘本久春(くぎもと ひさはる)さんです。
釘本さんは、のちに文部省に入った、
いわば、エリート官僚でした。
病の中島に、南の島・パラオでの
仕事を世話したのも、釘本さんです。
作家の深田久弥さんに引き合わせたのも、
釘本さんたちでした。
『山月記』は、その深田さんの推薦で、
昭和17年、雑誌『文學界』に載ります。
そして、その年の12月。
中島は、33歳の若さで亡くなります。
作家として、ほとんど名を知られないまま。
番組で高橋さんが紹介されたのは、
文学者の島内景二さんの、こんな説です。
| 『山月記』は、 親友・釘本さんへの「遺言」だった。 |
出世していく友と、
誇りばかり高く、くすぶる自分。
まさに、袁傪と李徴です。
才能は、足りないかもしれない。
それでも、この作品を世に残したい。
そして、家族のことを、頼む。
釘本さんは、その思いを、
しっかり受け止められました。
中島の死後、全集の編纂に尽くし、
戦後は文部省で、国語改革に携わります。
島内さんによれば、『山月記』が
教科書に載りつづけているのも、
釘本さんの思いが、反映されているそうです。
さらに番組では、釘本さんが
中島の長男を、職員として迎え入れたことも
紹介されていました。
李徴の二つの頼みを、
どちらも、果たしたことになります。
ひろゆきさんは、この裏には
『走れメロス』のような友情がある、
この話こそ、教科書に載せたほうがいい、
と話していました。
私も、心から、そう思います。


③ 最後に頼れるのは、信じられる友
この話を聞いて、私が思ったのは、
やはり、友達の大切さです。
人は、いつ亡くなるか、わかりません。
中島敦も、33歳でした。
才能、お金、会社。
いくら遺したところで、
最後に本当に頼れるのは、
信じられる友なんです。
李徴が、妻子を袁傪に託したように。
中島敦も、親友に、思いを託しました。
そして友は、託された思いを、
長い年月をかけて、形にしたんです。
田中章義さんの言葉も、心に残りました。
友達は、少なかったかもしれない。
でも、大切に託せる友がいた。
それだけで、中島の33年は、
むだではなかった、と。
行政書士は、遺言書づくりの
お手伝いをする仕事でもあります。
財産を、どう遺すか。
それも、もちろん大切なことです。
でも、それと同じくらい大切なのは、
「この人になら託せる」と思える友を、
生きているうちに、持てるかどうか。
40代、50代は、仕事も家庭も忙しく、
友と会う時間が、つい後回しに
なりがちです。
でも、だからこそ、なのだと思います。
そのためにも、目の前の一人を、
雑に扱わないこと。
私の事務所の社是にも、つながる話です。

④ 本を、作家を、学者を、軽んじてはいけない
もう一つ、強く思ったことがあります。
本を、ばかにしてはいけない。
作家や学者を、軽んじてはいけない。
この友情の物語が、いま私たちに
届いているのは、島内さんのように、
こつこつと研究を続けてこられた方が
いらっしゃるからです。
有名か、無名かに、かかわらず。
真摯に研究を続ける人がいて、
はじめて、埋もれた事実に光が当たります。
こういうお仕事は、決して、
お金がもうかるものでは
ないかもしれません。
けれど、こういうお仕事があってこそ、
いまの私たちの暮らしや文化が
支えられています。
そのことを、大切に考えたいと思います。
番組では、埋もれた人の仕事に
もう一度、光を当てることを、
「釘本する」と呼ぼう、という話も出ました。
高橋さんは、この説を掘り起こした
島内さんのことも、
「釘本してください」と話されていました。
私も、このブログで、ささやかながら、
釘本させていただいたつもりです。

⭐ まとめ:最後に託せるのは、信じられる友
今日の話を、まとめてみますね。
| ✅ 「社会人のための死入門2026」は、よりよい最期のために、いまから何を準備するかを考える番組 ✅ 『山月記』の裏には、中島敦と親友・釘本久春さんの友情の物語があった(島内景二さんの説) ✅ 才能やお金や会社より、最後に託せるのは、信じられる友 ✅ 本や作家、学者のお仕事を、軽んじてはいけない |
教科書で読んだ、あの『山月記』。
もう一度、読み返してみようと思います。
高校生のころとは、きっと
ちがう読み方が、できるはずです。
| 才能も、お金も、会社も、遺せます。 でも、最後に託せるのは ― 信じられる友です。 |
あなたには、すべてを託せる友が、
いらっしゃいますか。
私も、そんな友を、
これからも大切にしていきます。
⚠️ ご注意
本記事は、令和8年11月1日時点で、YouTube番組「社会人のための死入門2026」を視聴した、私個人の所感です。出演者の方々の発言は、私なりに要約したものです。
『山月記』の本文は、青空文庫(底本:新潮文庫『李陵・山月記』)より引用しました。ふりがなは一部を省いています。
中島敦の経歴(昭和17年2月号の『文學界』に「山月記」を発表、同年12月4日に33歳で病没など)は、一般に公開されている資料に基づきます。なお、中島は生前、『光と風と夢』で芥川賞の候補となり、作品集も2冊刊行されています。本文の「ほとんど名を知られないまま」は、広く世に知られる前に亡くなったという意味で記しました。
『山月記』が釘本久春氏への遺言であった、袁傪のモデルが釘本氏である、教科書への採用に同氏の意向が反映されている、という点は、島内景二氏の著書『中島敦「山月記伝説」の真実』(文春新書、2009年)による説として番組で紹介されたもので、定説ではありません。
釘本氏が中島敦の長男を職員として迎え入れたという点は、番組での紹介に基づくもので、私自身は一次資料での確認ができていません。
出典(参考):
YouTube(番組): https://www.youtube.com/watch?v=uVeTBMvXBn8
青空文庫『山月記』(中島敦): https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html
ウィキペディア「中島敦」: https://ja.wikipedia.org/wiki/中島敦
ウィキペディア「釘本久春」: https://ja.wikipedia.org/wiki/釘本久春


