
残念ながら、人は老います。
以前できたことが、少しずつできなくなります。
以前できていたスピードが、少しずつ遅くなります。
この現実を無視しないこと、目を背けないこと、
そして謙虚でいることが、とても大切だと思いました。
自己認識と現実とのギャップに、気づいていない人との出会い。







なぜそう思ったのかお話しします。
ある方と、ご一緒する機会がありました。
その方は若い頃、頑張られた方だと思います。
ご自身に自負もあり、輝かしい経歴も終わりだったと思います。
しかし残念ながら、
私だけでなく、周りの方も、
その方の作業の遅さに、少し困惑しているようでした。
と同時にその方は、ご自身の若い時のスピードを、
自分の現在のスピードと、認識としておられるようでした。
正直なところ、ご自身が思われるご自分と、
他の方が見たときのご自分に、
大きなギャップがあるように感じました。
スポーツの世界では、走るタイムの鈍化など、
残酷なまでに、老いを突きつけられる瞬間があります。
しかし、経営の場においては、
いつまでも自分が若い時と同じスピードで、
走り続けている、と錯覚しても、
その錯覚に気づくことは難しいです。
自らの鈍化を突きつけられることが、少ないです。
あなた、もう走れてませんよと、
あなた、前よりずいぶん遅くなりましたよ、と
面と向かって言う人はいません。
私は、その方が思っていらっしゃる
高い自己認識と現実のギャップを目の当たりにして、
とても怖くなりました。
私も同じように、
若い時と同じように走れている、
自分はすごいんだ、
と自分を見誤ってはいないか。
冷静に、自分が遅くなっていること、
老化していることから目を背けていないか。
と、人の振り見て我が振り直せと思った次第です。
年をとったら、年をとったなりの花の咲かせ方がある


老いた人間に、価値がないというわけではありません。
仮にスポーツの現役を引退したとしても、
コーチや監督として、人を育てるという花の咲かせ方があります。
いつまでもフィールドの選手でいるばかりが、花の咲かせ方ではありません。
若い時は、若い時なりの輝き方があり、
歳を取れば、歳を取ったままの輝き方がある。
いい年の取り方をして、
年を取ってなりの輝き方を磨いていきたい。
なにより、走ることが遅くなった自分に気がつくこと
そして、その差を受入れ、自分は以前と比べて
走れなくなったかもしれない、と常に謙虚であること。
そうした自分を客観視することを、
決して忘れてはいけない、と強く感じました。


