先日あるニュースを読んで、胸が張り裂けそうになりました。
妻を亡くし、たった一人で、障害のある我が子を育ててきた父親。
その父親が貧しさの果てに、最悪の選択をしてしまったと報じられました。
これは、遠い国の話ではありません。
いまの、この日本で起きた話です。
私が調べたかぎり、この出来事を取り上げているブログを見かけません。
だったら、私が書こう、そう思いました。
書くのも辛い、胸が痛くなるニュース
千葉県の成田市での、出来事です。
報道によれば、こういうことだったそうです。
報道によれば、66歳のお父さんは、10年前に奥さまを亡くされたそうです。
それからは、たった一人でお子さんを育ててこられました。
そのお子さんには、知的障害があったと伝えられています。
お父さんは毎日、自転車で片道5キロの学校へ、送り迎えをしていたそうです。
報道は、そのお父さんを「子煩悩な父」と伝えていました。
けれど、暮らしはとても苦しかったようです。

報道によれば――
お金がなく、
食べるものも、なかった。
報道で伝えられた、お父さんの言葉だそうです。
そして将来を悲観したと、伝えられています。
報道によれば、お父さんは我が子の命を手にかけてしまった、とされています。
そして、殺人の疑いで逮捕されました。
捜査は、これからです。ここに書いたのは、あくまで報道で伝えられたことです。
妻を亡くし、たった一人で、障害のある我が子を育てていく。
どんなに心細く、どんなに追いつめられていただろう。
もし、報道のとおりだとしたら。
我が子に手をかけた、その瞬間の苦しみは、いったいどれほどだったのか。
想像すると、胸がつぶれそうになります。
弱った者を、さらに叩く国で
私は、はっきりと断言します。
この国は、弱った人に冷たい。
こんな言葉があります。
水に落ちた犬を、
棒で、叩け。
本来の中国のことわざは逆に「水に落ちた犬は打つな」ですが、
これを反転させた言い回し(魯迅が用いたことで知られます)です。
弱った者をさらに追いつめる、という意味です。
いまの世の中は、まさにそうではないか。
一度つまずいた人を、よってたかって叩く。
私には、そう見えてしかたがないです。
世間の同情が集まりやすい人(例 若くて綺麗な女性)には、
お金も手も差し伸べられます。
でも、声を上げない人、叩いても誰も文句を言わない人は。
見て見ぬふりをされ、置き去りにされる。
たとえば、中高年・老人の男性。
どれだけ弱っても、「自己責任だ」の一言で片づけられがちです。
助けてくれと言い出せないまま、一人で抱え込んでしまう。
今回の様に、見殺しにされてしまう。

助けはあるかないかといえば、ある。(でも、機能していない)

困ったときに、頼れる助けはちゃんとあるんです。
そのひとつが、生活保護です。
生活保護は、特別な人だけのものではありません。
すべての人が、無差別平等に、
受けることができます。
それは、法律で定められた権利です。
生活保護法という法律の、第2条にそう書かれています。
困った原因が、何であっても関係ありません。
住むところがなくても、書類がすべてそろっていなくても。
まずは、相談からはじめられます。
相談の窓口は、お住まいの福祉事務所です。
あるいは、自立相談支援機関という窓口もあります。
生活保護に至る前の段階から、いっしょに考えてくれる場所です。
どうか、ためらわないでほしいんです。
◆ でも、支える担い手が、足りていない
ただ、ひとつ、残念なことがあります。
こうした申請のお手伝いを仕事にしている専門家は、ほとんどいません。
理由は、はっきりしています。
報酬に、なりにくいからです。
手間のわりに報われず、なかなか担い手がいないんです。
私たち行政書士も、書類づくりや申請のお手伝いはできます。
けれど、それを本業にしている人は、数えるほどです。
では、どうすれば、いいのでしょう。
ノブレス・オブリージュ。高い地位には、義務が伴う。
恵まれた者には、果たすべき務めがある。
そういう、昔からの言葉です。

最近は、こんな人をよく見かけます。
貯金がいくらある、今月いくら稼いだ、と得意げに自慢する人です。
それだけの力があるのなら、その務めを少しでも果たしたらどうだ。
私は正直、そう思います。
できる人が、できることを少しずつ引き受けていく。
それしか、ないと思っています。
補助金とは、資源の再分配です
私の本業の話を少しだけさせてください。
私は、補助金の申請をお手伝いしています。
補助金とは、いったい何でしょうか。
補助金とは、資源の、再分配です。

税金として、みんなから集めた資源をどこに活かすのか。
人手の足りない行政に、すべてを委ねない。
自分たちの手で、自分たちの判断で、
「これは世の中のためになる」と思うことへお金を配っていく。
だから私は、申請される方に必ずおたずねします。

この事業で、誰が幸せになりますか。
世のため、人のためになりますか、と。
私は、ただ書類を書くだけの代書屋ではありません。
補助金を通じて、世のため人のためになる事業を、
円滑に進めるための仕組みの一つ。
そんな矜持をもって、仕事をしています。
◆ まず、身近な一人を、大切に
こんな言葉があります。
マザー・テレサが遺したと、広く知られている言葉です。
「世界平和のために、何をすればいいですか」
そう問われて、こう答えたそうです。
家に帰って、家族を、愛しなさい。
身近な、目の前の一人を大切にする。
それが、いちばん大きな愛なんだ、と。
マザー・テレサは、生涯をかけてそう説いたそうです。
「私は、遠い国に学校を建てています」
そう言う人も、います。
立派なことだと、思います。
でも、私は少しだけ、違うと思うんです。
まず大切にすべきは、家族や友人、同じ地域に暮らす人、
そして同じ国に生きる人だと私は考えます。
その人たちを、大切にせずに。
何が、社会貢献か。
何が、人類愛か。
私は、そう思います。
だからこそ、地域のための社会的な事業は、
ときに一円もいただかずにお手伝いしています。
正直に、書きます。
私は、有名人が髪型を変えようが何を食べようが、まったく興味がありません。
でも、世の中でアクセスを集めるのは、きまってそういうブログです。
私のブログは、読む人の少ない、砂粒のようなブログです。
それでも、私は書きます。
砂粒のような声でも、世の中に、問い続けたい。
こんな悲しい出来事を、二度と起こしてはいけない。
そのために、こうした方を支える組織を身近で手伝うことなど
自分にできることを、ひとつずつやっていきます。
そして、少しでも世の中が良くなるように、
資源の再配分をコツコツ続けていきたいと思っています。

