

今朝の日本経済新聞に、どきっとする言葉が、ありました。
「怒る指導は、手抜きの指導」。
バレーボールの元日本代表、益子直美さんの言葉です。
正直、はじめは、よく分かりませんでした。
怒るのは、むしろ熱心なことでは、ないのか、と。
なぜなら、怒るという作業は、非常に労力が必要です。
とても楽だとは、思えません。
これは、昔の私の話でもあります。
かつての私も、まさにそう信じて、怒ってばかりいました。
でも、この記事が、どうにも頭から離れなくて。
気になって考えるうちに、同じ内容の話に、二つも思い起こしました。
心理学の話と、世界の会社の話です。
今日は、この今朝の記事を入り口に、私の思うことを、書かせてください。
きっかけは、今朝の新聞 ― 「怒る指導は、麻薬だった」

まずは、今朝の記事をご紹介させてください。

益子さんは、「監督が怒ってはいけない大会」という、
ユニークな大会を続けておられます。
子どもを怒った監督には、赤い「×」のマスクが手渡される、
という大会です。

なぜ、怒ってはいけないのか。
益子さんの話は、こんな趣旨でした。
大人が怒ると、子どもはおびえて、縮こまる。
怒られるのが怖くて、新しいことに挑戦しなくなる。
でも、ミスにはかならず原因があって、
そこを見つけるのが、成長のチャンス。
子どもが挑戦をやめてしまえば、
その成長は、そこで止まってしまうんですね。
はっとしたのは、益子さんご自身の、告白でした。
じつは益子さんも、かつて大学で監督をなさっていて、
怒る指導にのめり込まれたそうです。
勝ちたい一心で、
あれほど嫌だったはずの怒る指導に踏みこんでしまった。
そのときの気持ちを、益子さんはこんなふうに振り返られています。
怒って勝てるのが面白くて、やめられなかった。
あれは、麻薬だった ―― と。
怒ることが、相手のためではなく、
自分がやめられない「麻薬」になっていた。
この言葉が、ずっと、頭に残りました。
心理学が、同じことを言っていた

この記事が頭に残ったまま、ふと、一冊の本を思い出しました。
臨床心理士の村中直人さんが書かれた、
『〈叱る依存〉がとまらない』という本です。
そこに新聞の話と、ぴたりと重なる指摘がありました。
私たちはふだん、
「叱る」と「怒る」は違う、と考えています。
叱るのは相手のため、
怒るのは自分の感情のため、と。
ところが村中さんは、こう言うんです。
「叱る」と「怒る」の違いは、
じつは、叱る「側」の気持ちの中にしか、
ないのだ ―― と。
「これはあなたのため」という気持ちは、こちら側にあるだけ。
受け取る側にとっては、強い言葉をぶつけられた、
という事実は、変わらない。
しかも強く叱られた人は、
学ぶのではなく「身を守る」反応に入り、
頭が止まってしまう。
怒りは、考える力を奪ってしまう。
そしていちばんこわい指摘が、これでした。

叱るという行為は、相手より、
じつは「叱る側」の気持ちを満たしている。
だから、まるで依存のようにやめられなくなる ―― 。
益子さんの「麻薬だった」と、見事に、重なりました。
世界の会社の研究まで、同じ結論だった

もう一つ、思い出した話がありました。
子どもでも、心理学でもない。今度は、世界の会社の話です。
あのグーグルが、かつて、大きな調査をしました。
「成果の出るチームと、出ないチームは、何が違うのか」。
お金でも、優秀さでも、ありませんでした。
いちばん大事だったのは、「心理的安全性」だったそうです。
むずかしい言葉ですが、中身は、とてもシンプルなんです。
「失敗しても、わからないと言っても、大丈夫」。
そう安心して言える職場ほど、人が辞めず、成果も高い、というのです。
逆に、怒りや叱責で支配された職場では、どうなるか。
人は、ミスを隠すようになります。報告が、上がってこなくなる。
小さなつまずきが、見えないまま大きな事故に育ってしまう。
つまり、「安心できる職場」は、優しさの問題ではありません。
人が辞めず、ミスが防げ、成果が出る ――
これは、立派な「成功への秘訣」なんですよね。
正直に、白状します ― これは、昔の私の話です

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
じつは、この三つの話を読むあいだ、
私の胸は、ずっとちくちくしていました。
なぜなら、これは全て昔の私自身の話だったからです。
お恥ずかしい話ですが、
かつての私は、人に怒ってばかりいました。
しかも、たちが悪いことに ―― 。
私はそれを、「相手のためだ」と本気で思っていました。
「これだけ厳しく言うのは、あなたのためなんだ」と。
でも、今日の三つの話は、
その思い込みをまっすぐに打ち砕きました。
怒っていた私は、
相手を思っていたのでは、
ありませんでした。
ただ、
考えることから
逃げていただけ、
だったんです。
「相手のため」という言葉で、
自分の苛立ちを包んでいただけ。
正直に言って、おろかだったと思います。
そして、いちばん恥ずかしいのは、
こういうことを、私が何も学んでこなかった、
ということです。
人を育てることにも、人の心にも、
ちゃんとした知恵が、世の中にはあった。
なのに私は、それを知ろうともせず、
感情だけを、ぶつけていました。
自分自身の不勉強を、心から恥じたい気持ちです。
知らないというだけで、
人を傷つけてしまうことがある。
だから経営者は、学び続けないといけないし、
本も読まないといけないと思います。
では、どうすればいいのか ― 三つの話と、私の反省から

今朝の新聞、心理学の本、Googleの研究。
そして、私自身の反省。
入り口はばらばらですが、
全てが、同じ一点を指していました。
それを、私なりの言葉で言うとこうなります。
「怒る」のは、じつは、いちばんラクな道。
なぜなら、こちらが「考えなくて」済むからです。
怒れば、相手は、とりあえず、動きます。
「なぜできなかったのか」を、一緒に考える手間が、まるごと省ける。
だからこそ、あの記事は、怒る指導を「手抜き」と呼んだのだと思います。
しかも、その怒りは、相手のためのようでいて ―― 。
ほんとうは、こちらの気持ちを、すっとさせるためのものだった。
だから、麻薬のように、やめられなくなるんですね。
怒りは、たしかに、人を「動かし」ます。
でも、人を「伸ばす」ことは、できないんです。
おびえている人は、新しいことに、手をのばさない。
失敗を隠し、正直なことを、言わなくなる。
いちばん大切な「伸びしろ」が、そこで、しぼんでしまう。
では、「怒らなければ」いいのかというと
―― それも、違うと思うんです。
ただ放っておくのも、結局は、相手と向き合うことから逃げているだけ。
怒るのでも、放置するのでもない、第三の道。
それは、相手を信じて、待つこと。
そして、安心して挑戦できる「土俵」を、
こちらが用意してあげることです。
ここで、もう一歩だけ、踏み込みたいんです。
これは、ただの「優しさ」の話では、ありません。
人が、なかなか採れない時代です。
せっかく来てくれた人が、おびえて辞めていく会社に、
明日はありません。
だから、安心して挑戦できる土俵をつくることは、
いちばん冷静な「経営の合理性」だと思います。
怒ってばかりいた私が、すこしずつ変われたのは、
結局、学んだからです。
知らなかったことを、知る。
それだけで、人への向き合い方は変わると思います。
今の私は、自分のことを「応援団長」と呼んでいます。
お客様を「指導する人」ではなく、
横にならんで「応援する人」でいたい。
あのころの私には、とても言えなかった言葉です。
社長さんへ。明日からできる、3つのこと

人手不足の、今です。
せっかく来てくれた人に、長く元気に働いてほしい。
だからこそ、今日から職場でできることを、
3つだけ書いておきます(自戒をこめて)。
一 怒りが湧いたら、「これは誰のための言葉か」と、一呼吸おく。
二 ミスの報告には、まず「言ってくれて、ありがとう」と返す。
三 叱る代わりに、「なぜ起きたか」を、となりで一緒に探す。
ここまで書いたからには、絶対に守らないといけませんね💦


